近代吟詠の祖 木村岳風
明治32年(1899年)9月20日、現在の長野県諏訪市で松木家の長男(姉3人・弟1人)として生誕した木村岳風は、本名を松木利次といいます。木村岳風の名は、大正14年晩秋、いよいよ詩吟活動に専念する意を固めたころに決めた号です。私たち日本詩吟学院では、毎年9月20日を「岳風吟詠の日」としています。
岳風が生まれ育った当時の諏訪地方では、詩吟や琵琶が大いに流行っていたのですが、小学校入学後、岳風の吃音症の矯正のためもあり、熊本勤務から帰ってきた長姉が詩吟を教えたのが大きなきっかけになったと言われています。
その後、生家の衰退や岳風自身の事業の失敗など悩める青年時代を送りますが、大正10年(1921年)上諏訪町役場勤務時代の上原栄との出会いは、岳風自身が後年「私の詩吟の師は上原栄先生だ」と語っている通り、木村岳風の吟詠の基礎を成すものとなりました。
恩人達との邂逅・各地の名士達との出会いを経て、吟道一筋に生きる決心をした岳風は、昭和2年(1927年)からは、日本全国さらには海外まで、詩吟行脚の道を歩んでいきます。この中で、岳風は詩吟の普及奨励という目的と共に、全国各地の流派による吟法の違いを、あるときは教えを乞いながら研究し続け、体系だった吟法の確立に至りました。昭和11年(1936年)3月15日には「日本詩吟学院」を創立し、レコーディングやラジオ放送、教本作成など、我が身を顧みず吟道に命を捧げた毎日となります。昭和27年(1952年)7月1日、周囲に後事を託し、ついに52歳余の生涯を閉じました。全国各地に散らばっていたさまざまな詩吟を単なる芸能としてだけでなくその精神文化の奥深さも含めて一つに纏め上げ、継続性のある団体創立にまで至らしめた点で、のちに木村岳風は「近代吟詠の祖」と呼ばれるようになったのです。
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