近代吟詠の祖

明治32年(1899) 9月20日 長野県諏訪郡上諏訪町(現、諏訪市岡村)に父 松木百造、母 かや、の長男として生まれる。利次(としつぐ)と命名。 kimura
明治39年 4月上諏訪町立高島尋常小学校入学
明治45年(1915) 4月長野県諏訪中学校入学。
3月諏訪中学校3年終了後中退して上京。
4月片倉組(片倉製糸)本庄工場(埼玉県)に就職。
大正5年 片倉組朝鮮工場(現、韓国ソウル市)に転勤、職工に技術指導を行う。
大正6年 4月片倉組退職、上諏訪町で練炭製造販売業を営むも失敗する。
大正8年 5月徴兵検査甲種合格、松本歩兵第50連隊に入隊。
3ヶ月の教育を受け除隊後、製麦業を営むが翌年廃業。
大正10年 4月上諏訪町役場学務係勤務。上原 栄氏を知り朗吟を習う。
大正12年 9月関東大震災後の木材販売、諏訪味噌の販売を営むも失敗。朗吟の研究を続ける。
大正15年(1926) 1月「国楽振興会」設立に際し、朗吟奨励部長となる。
(会長 陸軍中将堀内文次郎・顧問 頭山 満・中野正剛ほか)
昭和2年 東京芝日本榎町に転居。
4月全国詩吟奨励行脚を始める。
昭和3年 3月大連・九州などへ詩吟行脚。
昭和4年 8月13日広島放送局より初ラジオ放送。
11月8日仙台放送局より放送。
昭和5年 1月仙台放送局よりラジオ放送「富士山」「神州健児歌」。
3月東北地方より南下して九州一円を廻る約1ヶ月にわたる行脚。
5月熊本にて荒木貞夫第6師団長の知遇を得る。
5月熊本放送局より放送。
6月朝鮮に渡り大陸詩吟行脚。
昭和6年 1月ニットーレコードで詩吟吹込み全国販売。芝高輪南町へ転居。
6月東北・北海道、9月近畿地方詩吟行脚(2ヶ月)
昭和7年 6月九州地方・7月朝鮮詩吟行脚。
昭和8年 10月『註解興国朗吟詩集』皇朝篇発行(定価30銭)
昭和9年 1月芝田町に転居。
3月9日母かや死去。
昭和10年 4月第1回全国放送詩吟大会(主催 日本放送協会)に参加。
12月14日高橋宣子嬢と結婚。(日比谷三信ビル東洋軒にて)
昭和11年 3月15日日本詩吟学院創立・九段一口坂の新居へ移転。
7月19日百造死去。
7月大陸慰問詩吟行脚出発。
昭和12年 4月7日日本詩吟学院温習会。(新宿伊勢丹ホール)
昭和13年 4月九段靖国神社大鳥居前に転居。
8月相模原第三、東京第三、9月富山県と各陸軍病院への戦傷兵慰問。
10月JOAK(NHK東京放送局)より放送。
11月総本部主催愛国詩吟大会(軍人会館、現九段会館)。
竹田宮邸・北白川宮邸にて御前吟詠。
昭和14年 3月上海より慰問行脚。
5月詩吟物語「東郷元帥」をJOAKより全国放送。
昭和15年 2月朝鮮満州慰問行脚・満州国皇帝陛下御前吟詠。
4月JOAKより詩吟を初めて海外向け放送。
昭和16年 9月『吟符註解附聖戦漢詩の吟じ方』発行(定価40銭)
昭和17年 1月明治神宮萩の御殿前で寒稽古。
3月北支部隊慰問。
昭和18年 1月1日明治神宮初詣奉納朗吟。
8月朝鮮満州慰問。
9月青島華北交通青年隊で詩吟講習を行う。
昭和19年 6月諏訪に帰省・静養。11月麹町病院へ入院。
昭和20年(1945) 2月九段富士見町へ転居。東北地方詩吟行脚。
この年JOAKより6回放送。
8月15日終戦。
昭和21年 1月1日JOAKより放送。
5月「侍輿歌」を放送。最後の放送となる。
昭和22年 2月日赤諏訪病院に入院・11月退院。各地吟友の消息調査。
昭和23年 発声が困難になった為、手を握ってその強弱による指導が行われた。
昭和24年 療養に専念する。
昭和25年 1月生家を「鵞湖吟社」と命名。『新朗吟テキスト』発行(定価10円)。
5月春季・10月秋季朗吟鑑賞会(明治大学講堂)出席。
昭和26年 1月3日鵞湖吟社で新年懇親会と温習会。
10月総本部主催 講和記念詩歌朗吟鑑賞会(明治大学)出席。
昭和27年 1月6日鵞湖吟社吟じ始め会。
5月『新愛吟詩歌集』発行(定価200円)。
学院関東本部主催春季朗吟大会(下谷公会堂)に出席、最後の大会出席となる。
7月1日死去、52歳。4日地蔵寺にて葬儀、愛宕山山頂聖域に埋葬される。
8月3日宗範木村岳風学院吟詠告別式(葬儀委員長鈴木岳楠)が、東京小石川護国寺本堂において東京都知事ほか各界名士多数参列のうえ執り行われた。

ロゴ

Copyright Sample Site All Rights Reserved.